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北上川の源流

最終更新日:2022年3月30日
新通法寺正覚院
新通法寺正覚院
弓弭の泉
弓弭の泉

岩手郡岩手町に天台宗の 新通法寺正覚院 しんつうほうじしょうかくいん 御堂観音 みどうかんのん )があります。

寺伝によると、御堂観音は坂上田村麻呂が東征の祈願所として自らが彫った 立木 たちき 十一面観音を安置して807年に建立したといわれ、坂上一族の僧である了慶が開いたと伝えられます。

平安後期の1062年には、前九年の役で安倍貞任と戦って勝利した源義家がここに堂を建立し、それまで肌身離さなかった自身の頭髪入りの小観音像を安置して「新通法寺正覚院」と名づけたといわれます。その時、寄進されたという「陣中釜」は今も寺に現存します。

また、江戸時代には、藩主の南部 利雄 としかつ 公が千手観音像を守り本尊として寄進し、1758年と1968年には大火に見舞われましたが、それぞれ数年後には再建されました。

元々この地には清水が湧出していたことから、古から人々が水を守る神々を祀ってきたとみられ、本堂の右奥にある泉は北上川の源流といわれています。

湧水の伝説として次のようなものがあります。「1057年6月に源頼義・義家率いる朝廷軍が北に軍勢を進めていたところ、炎暑で飲み水がなくなったため兵馬が苦しみ始めました。義家が周囲を見渡せる小高い山へ登ったところ、遥か前方に巨大な杉の木を見つけ、天に拝して観音菩薩に念じ、空に向かって矢を放つと、その大杉の根元に突き刺さりました。さらにその根元の岩を 弓弭 ゆはず で突いたところ清水が湧き出してきました。その湧水で兵馬は喉を潤すことができたため、生き返ったように元気になり、源頼義と義家はこの戦いに勝つことができました」。

伝説を由来として、この泉は「弓弭の泉」と呼ばれて人々から崇められ、古来涸れることなく悠久の北上川の流れへとなっています。

  • 問合せ先:北上山新通法寺正覚院
  • TEL:0195-62-8319

(岩手経済研究2022年3月号で紹介)