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盛岡の地名の由来「永福寺」

最終更新日:2022年1月4日
山門
山門
地名の由来の連歌額
地名の由来の連歌額

盛岡市のJR山田線山岸駅の北側に ほう じゅ もり 岡山 おかさん 永福寺があります。

当寺の開創は800年であり、坂上田村麻呂が東征の折り、戦勝祈願のため十一面観音を祀って今の八戸市豊崎町に建立しました。

1189年には、 糠部 ぬかのぶ 五郡(現在の青森県東部から岩手県北部)の領主で 三戸 さんのへ 城(青森県三戸町)を居城とした南部光行公が南部家の祈願所として同地に移し、篤く信仰しました。また、1615年頃には、南部氏が 来方 ずかた (現在の盛岡市)に城を移すのに伴って、城の北東にあたる鬼門鎮護の祈願寺として、当寺を現在地に移転しました。

その後、不来方の地名は森ヶ岡、森岡と改められ、1691年に当時の三代藩主重信公が当寺42世の 清珊 せいさん 法印と連歌を交わしたときに、清珊法印が「宝の珠の さか る岡山」という下の句を持参のうえ上の句を懇願したところ、重信公は「幾春も華の恵みの露やこれ」と詠んだことから、それ以降は地名を「森岡」から「盛岡」に定めたということです。

当寺は、築城に伴って盛岡に集められた南部氏ゆかりの寺(盛岡五山)の筆頭寺として寺禄8百石余を与えられ、約3万坪の境内に本堂の歓喜院、護摩堂、大師堂、本坊などの堂宇や 六堂 ろくどう 伽藍 がらん があり、末寺も多く、隆盛を極めました。しかし、明治の廃仏毀釈により 東坊 ひがしのぼう と墓地だけを残して多くの寺領や堂宇・伽藍は召し上げられました。現在の本堂は、東坊跡に戦後に再建されたものであり、本尊の 大聖 だいしょう 歓喜天 かんきてん は十一面観音の化身であるため、一心に念じるだけで望みが叶うといわれます。

当寺は、人々に仏様のご加護があるよう宗派を問わずどなたでもご参詣になれる祈願寺であります。今年は年初からコロナ禍で悩みが多い一年でした。ワクチン接種が進み平穏が戻りつつあるものの、再び災禍が広がらないよう、仏様に祈願したいものです。

  • 問合せ先:宝珠盛岡山永福寺
  • TEL:019-662-4424

(岩手経済研究2021年12月号で紹介)