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鞭牛和尚の宮古街道(宮古盛岡横断道路)

最終更新日:2021年9月1日
宮古市指定文化財「鞭牛の道路開削工具」
宮古市指定文化財「鞭牛の道路開削工具」(写真提供:新里生涯学習センター)
国道106号熊の穴
国道106号熊の穴

復興支援道路として整備された宮古盛岡横断道路(国道106号)は3月28日全線開通しました。 開通により所要時間が1時間15分と約30分短縮され救急搬送や広域観光、物流の活性化など多くの効果が期待されます。この道の基になった宮古街道は今から263年前 牧庵 ぼくあん 鞭牛 べんぎゅう 和尚が開削に立ち上がったのが始まりです。

鞭牛は1710年、閉伊郡和井内村(現在の宮古市和井内)の農家に生まれ、21歳で出家して鵜住居村(現釜石市)の常楽寺で修行後、32歳で種市村(現洋野町)東長寺住職を経て37歳の時に栗林村(現釜石市)の林宗寺の住職となりました。そして1755年の宝暦大飢饉の時に寺を去り、82年に逝去するまで道路整備に生涯を捧げました。27年間で宮古街道のほか、浜街道(宮古・釜石間)や有芸街道(宮古・岩泉間)など南部藩内百里に及ぶ道を整備したと伝えられています。

鞭牛が開削する以前の宮古街道は、1640年に道沿いに七里塚を作り ケヤキ が植えられた以外整備は行われず、閉伊川沿いの難所の一つである蟇目の熊の穴では岩壁の松の木から垂らした縄にすがり、足場を探して壁面を横断するような有様で、滑落や川に流されるなど毎年多くの犠牲者を出す難道でした。一度洪水が起これば交通は途絶し、糧道を断たれた民衆は たちま ち飢餓に陥り、多くの餓死者も出しました。鞭牛はこのような惨状を見かね住職の地位を投げうって街道の改修に立ち上がったといわれています。

北上高地は岩盤が多く当初岩石を砕く のみ だけで開削を行う鞭牛の姿を見た人々は錯乱したのではないかと疑ったほどだったようですが、風雪のなか悪路の改修を進めていく姿を見て次第に評価が変わり、協力する人が自然に増え、道路の改修は急速に進むようになったということです。

1758年~62年にかけて鞭牛が開削した宮古街道は、食料等の物資の輸送に威力を発揮して民衆を救済し、その後時を経て東日本大震災でも再び沿岸と内陸を結ぶ「命の道」となりました。新たに整備された道路は救急救命措置の一層の向上が図られ、今後も命を繋ぐ動脈として北上高地を高速で横断します。

  • 問合せ先:宮古市新里生涯学習センター
  • TEL:0193-72-2019

(岩手経済研究2021年8月号で紹介)