019-622-1212

前川(吉里吉里)善兵衛の功績

最終更新日:2021年8月2日
歴代前川善兵衛の墓
歴代前川善兵衛の墓
善兵衛の活躍の舞台となった大槌港の現況
善兵衛の活躍の舞台となった大槌港の現況

その昔、大槌町 吉里吉里 きりきり に、江戸や 上方 かみがた に名を馳せた豪商 前川 まえかわ 善兵衛 ぜんべえ (通称吉里吉里善兵衛)がいました。

そのルーツは相模国前川 むら (現在の神奈川県小田原市前川)出身で、小田原城主 北条 ほうじょう 氏に仕えた伊豆下田城主清水 富英 とみひで です。富英は1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで落城すると奥州気仙郡に逃れ、子の 富久 とみひさ の代に閉伊郡吉里吉里浦に移りました。富久は清水姓を はばか り出身地名の前川に改め、前川家二代の 富永 とみなが が前川善兵衛富永と称し、以後幕末の八代まで善兵衛を名乗ることになります。

富久は当初常陸国の廻船問屋の集荷を担っていましたが、二代富永の頃に事業が拡大し、三代の頃になると廻船問屋の特権を得て自前で閉伊の海産物を他領に販売できるようになりました。後に 煎海鼠 いりこ 干鮑 ほしあわび 俵物 たわらもの や鰹節、塩鮭、 するめ 干鰯 ほしか 干赤魚 ほしあかお 、魚油、布海苔に加え米穀類、木材など幅広い商品を弁財船を建造して運び巨大な富を築きました。

しかし、数々の特権を得たものの、同時期の1707~34年の間に藩に献上したお金(藩命の御借上)は1千7百両にのぼり、1753年の日光東照宮修復では7千両を課されるなど、度々の御用金が重い負担となったほか、不漁が続くなどして家運が衰退したということです。

歴代善兵衛の功績は藩財政に寄与したほか、三陸の海産物を全国的に知らしめ商品価値を上げたことに加え、船の大型化などの海運の発達や漁法および漁場の開発、遠距離輸送のための塩蔵加工に必要な塩の需要増に伴う製塩業の発展など地域経済の発展に大きく貢献しました。1755年の飢饉では多くの村人や往来の人に蔵を開き食糧を施すことで多くの命を救いました。

前川家が代々にわたり保存した豊富な古文書類は種類が多岐にわたり、戦後水産庁に譲渡され、学術面でも日本の貴重な水産資料となっています。

東日本大震災後、大槌では、海と山の豊富な食の地域資源を生かした「大槌ブランド」の確立に取り組むなど善兵衛の起業家スピリットの継承を感じさせるような地域振興が行われています。

  • 問合せ先:大槌町教育委員会生涯学習課
  • TEL:0193-42-2300

(岩手経済研究2021年7月号で紹介)