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鬼死骸(大武丸)の伝説

最終更新日:2021年7月1日
鬼死骸の鬼石
鬼死骸の鬼石
旧鬼死骸バス停
旧鬼死骸バス停

アニメ「 鬼滅 きめつ やいば 」が人気ですが、鬼が滅した場所として今注目を集めているのが、一関市 真柴 ましば のその名も「 鬼死骸 おにしがい 」です。

鬼死骸の伝説には諸説ありますが、当地にまつわる伝説によると、 蝦夷 えみし には磐井の 達谷窟 たっこくのいわや (現在の平泉町)を拠点とした 悪路王 あくろおう とその弟で衣川の 善城 ぜんじょう (現在の奥州市衣川)などを拠点とした 大武丸 おおたけまる 、そして大武丸の息子 人首 ひとかべ 丸の3人の首領がいて朝敵の鬼と恐れられていました。

3人の首領は征夷大将軍坂上田村麻呂と永年にわたって戦いますが、悪路王と大武丸は801年、人首丸は806年に討たれてしまいます。

そして大武丸が斬首された時に首が飛んで落ちた所が現在の宮城県大崎市の 鬼首 おにこうべ で、首以外の亡骸を埋めた場所が鬼死骸といわれています。

田村麻呂はその際、大武丸の亡骸の上に巨岩を 重石 おもし として置き、「鬼石」としました。これは永年の征夷戦で悪戦苦闘を余儀なくされた田村麻呂にとっての鬼・大武丸への怒りの表れであり、亡骸に巨石を乗せて蘇りを封じ、さらに高台に武神の鹿島神社を勧請するなど鬼が復活し再び戦火を交えることが無いようにと願う、畏怖の念の裏返しの行動だったと見られています。

鬼石の近くには死骸の一部とも子分のものとも伝えられる「 あばら いし 」などもあり、周辺一帯は鬼死骸村と呼ばれるようになりました。今も近くには鬼死骸八幡神社があるほか、電信柱には鬼死骸の文字が刻まれています。また5年前まで使われていた路線バスの鬼死骸停留所が残るなど痕跡が随所で見られます。

大武丸の人物像は諸説あり、 追剥 おいはぎ や強盗をしていた悪者であったとの見方がある一方で、村人から慕われ、朝廷に対し最後まで戦い抜いた勇者と評価する声もあります。果して鬼死骸が「鬼が滅した場所」なのか「蝦夷の英雄が眠る地」だったのか、現地を訪れ思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • 問合せ先:一関市真柴市民センター
  • TEL:0191-26-2523

(岩手経済研究2021年6月号で紹介)