国指定史跡「達谷窟毘沙門堂」
二之鳥居
達谷窟 毘沙門堂 ( 窟堂 )は、平泉駅から約6キロメートルの厳美渓に至る道沿いに位置し、国指定の史跡となっています。
「達谷窟毘沙門堂縁起」によると、この窟堂は征夷大将軍の坂上田村麻呂が桓武天皇の命で窟を拠点に悪事を働いていた 蝦夷 の首領 悪路 王 等を討伐した際に、加護を受けた毘沙門天に感謝して、今から1220年前の801(延暦20)年に京都の清水寺を模した 懸造 で建てたものです。また田村麻呂は鞍馬寺から 勧請 された108の毘沙門天を祀り国を鎮める祈願寺としました。
その後、4度の焼失を経て現在の窟堂は1961年に再建されました。堂内には第三代 天台 座主 慈 覚 大師 作と伝えられる本尊のほか多くの毘沙門天が安置されています。
境内は神仏 混淆 で窟堂の入口には三つの鳥居が建てられ、その右側には窟堂を管理する 別 当寺 である天台宗達谷 西光 寺の金堂や本堂などがあります。また、左側には長さ約150メートル、高さ35メートルにおよぶ岩壁があり、その下に崖が覆いかぶさるように窟堂が建っています。さらに奥に進んだ岩壁の上部には大きな 磨 崖仏 が刻まれています。磨崖仏は、 前 九年 の役や 後 三年 の役で亡くなった兵の霊を供養するため、鎌倉時代に源義家が馬上より 弓 筈 (弓の両端の弦をかける部分)で彫った阿弥陀如来といわれています。
別当の達谷西光寺は、802年に 奧 眞 上人により開かれ、東西南北十数キロメートル余に亘る広大な寺領に天台宗の金堂等や三院ほか本山派修験者の諸坊がありましたが、度重なる戦乱や廃仏毀釈で現在地に移って残る当寺の建物のみとなりました。
窟堂では、毎年2月の第一日曜日に 節 分会 が行われ、縁起のいい二升五合(マスマスハンジョウ)の黄金枡に盛られた豆が「鬼は外、福は内」の掛け声と共に舞台の上から撒かれます。しかし今年は新型コロナウイルス対策のため祈祷のみ実施され、豆撒きは自粛の予定です。
今年の節分は、新型コロナウイルスの一日も早い収束を祈願するとともに、窟堂をはじめとした様々な歴史遺産を残す平泉を舞台とした歴史絵巻に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
- 問合せ先:達谷窟毘沙門堂別当達谷西光寺
- TEL:0191-46-4931
(岩手経済研究2021年2月号で紹介)