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一関藩主の菩提寺 祥雲寺

最終更新日:2021年1月4日
大慈山祥雲寺本堂
大慈山祥雲寺本堂
田村家墓所
田村家墓所

一関市の市街地の南側に大慈山祥雲寺があります。臨済宗妙心寺派の寺院で一関藩主田村家の菩提寺です。

祥雲寺は1682年、田村家一関藩初代藩主田村 建顕 たつあき の祖母で仙台藩二代藩主伊達忠宗側室・房姫(祥雲院)が、岩沼から一関への田村藩移封に伴い菩提も移転し開基しました。

田村家一関藩の由来は戦国時代に遡ります。仙台藩初代藩主となる伊達政宗が勢力拡大を図る諸大名を意識して現在の福島県田村地方を治めていた戦国大名田村 清顕 きよあき と絆を深めるため、その娘 めご 姫を正室に迎えました。しかし、田村家は豊臣秀吉による小田原攻めに参陣しなかったため領地は没収され、お家断絶となります。これを悲しんだ愛姫は田村家の再興を子の忠宗に遺言。その後、忠宗と房姫の子 宗良 むねよし の代になると再興が叶い、宗良は田村家を継ぎ初代岩沼藩主となりました。

その頃仙台藩では幕命で2歳の綱村が四代藩主に就任したため、宗良は叔父の伊達 宗勝 むねかつ (当時の一関藩主)と共に後見役に就任することになりました。しかし、甥の立場の宗良は発言力が弱く、権力が宗勝に集中し専横が進み、世に言う伊達騒動に発展します。宗勝はこの騒動の とが で改易となり、その 後釜 あとがま となったのが宗良の嫡男建顕です。この移封に伴い房姫は菩提の長谷山大慈寺も岩沼から移し寺号を大慈山祥雲寺と改めました。

その後、明治には二度の火災に遭いながらも長谷観音堂や転輪一切経蔵、覆堂のほか、改易となった宗勝の母・ 保性院 ほしょういん の木像が安置された保性院廟厨子などの歴史的遺産を引継ぎ、今日まで338年間、激動の時代を超えて田村家の菩提を弔ってきました。

大晦日には当寺でも除夜の鐘が打ち鳴らされ、深々と冷え渡る冬の夜空に響きます。鐘は煩悩の数108つ鳴らされ、苦しみや悩みを断ち切る力が宿るといわれます。コロナ禍のなか迎える今年の大晦日、時代を超えて鳴り響く除夜の鐘に新しい年が本当に佳き年であるよう願ってやみません。

(岩手経済研究2020年12月号で紹介)