盛岡市本宮に
明治30(1897)年に外務省を退官し、大阪毎日新聞の社長に就任しました。その後立憲政友会の創設に関わり、35(1902)年に衆議院議員に初当選、立憲政友会総裁を経て大正7(1918)年、爵位を持たない初の総理大臣となり、我が国初の本格的な政党内閣を組閣しました。しかし、3年後の10(1921)年11月、東京駅で青年の
原は65年の生涯で多くの功績を残しています。新聞社社長時代に、文章を平易にするため口語体で記事を書き、漢字の削減に取り組み、総理大臣になってからは臨時国語調査会を設置し、没後に最初の常用漢字表が発表されました。また、簡単明瞭な新年の賀詞「賀正」を発案したといわれ、役人が好んで用い、その後国民の間に広く浸透しました。
さらに現在の国会議事堂建設の計画・着工にも関わったほか、大正9(1920)年10月には初の国勢調査を始め、鉄道網や高等教育機関の整備なども進めました。県内でも山田線や大船渡線の建設、県立図書館の開設に貢献しました。
爵位等を拒み、事前に
- 問合せ先:原敬記念館
- TEL:019-636-1192
- 休館日:月曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始
(岩手経済研究2020年5月号で紹介)