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原敬記念館

最終更新日:2020年6月1日
原敬記念館内
原敬記念館内(写真提供:同記念館)
原敬生前最後の写真(大正10年10月22日)
原敬生前最後の写真(大正10年10月22日)
生家
生家

盛岡市本宮に はら けい 記念館があります。「平民宰相」として第19代内閣総理大臣となった原の遺徳を偲び、生家や 所縁 ゆかり の資料を保存展示するため「原敬先生遺品保存会」によって建設され、昭和33年に市に寄贈されて開館しました。

はら たかし は安政3(1856)年、現在の記念館敷地内にあった家で盛岡藩士の二男として生まれました。明治に入り15歳で上京し新聞記者を経て官僚になり、井上馨や陸奥宗光に才能を認められ、外務次官にまでなっています。

明治30(1897)年に外務省を退官し、大阪毎日新聞の社長に就任しました。その後立憲政友会の創設に関わり、35(1902)年に衆議院議員に初当選、立憲政友会総裁を経て大正7(1918)年、爵位を持たない初の総理大臣となり、我が国初の本格的な政党内閣を組閣しました。しかし、3年後の10(1921)年11月、東京駅で青年の 凶刃 きょうじん に倒れました。

原は65年の生涯で多くの功績を残しています。新聞社社長時代に、文章を平易にするため口語体で記事を書き、漢字の削減に取り組み、総理大臣になってからは臨時国語調査会を設置し、没後に最初の常用漢字表が発表されました。また、簡単明瞭な新年の賀詞「賀正」を発案したといわれ、役人が好んで用い、その後国民の間に広く浸透しました。

さらに現在の国会議事堂建設の計画・着工にも関わったほか、大正9(1920)年10月には初の国勢調査を始め、鉄道網や高等教育機関の整備なども進めました。県内でも山田線や大船渡線の建設、県立図書館の開設に貢献しました。

爵位等を拒み、事前に したた めた遺書には「死去の際、位階勲等の 陞叙 しょうじょ は余の絶対に好まざる所なれば…墓石の表面には余の姓名の外、戒名は勿論、位階勲等も記すに及ばず…」とあります。今年は百回忌にあたります。

  • 問合せ先:原敬記念館
  • TEL:019-636-1192
  • 休館日:月曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始

(岩手経済研究2020年5月号で紹介)