紫波町の紫波運動公園南側に隣接した北上川の西岸に
創建は延暦23(804)年、坂上田村麻呂が、蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その守護神として勝負の神である
時代が下り天正年間(1573~93年)、斯波郡高水寺城(現在の紫波町城山公園)城主 けふよりは紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て
と詠み、これに因み、郡名は斯波郡から紫波郡に、当社は赤石大明神と称されるようになりました。
藩政時代には盛岡藩主南部氏から崇敬され、藩で最も社格の高い「南部一の宮」の号を与えられたほか、藩内の商人をはじめ多くの信仰を集めました。その後、大正13(1924)年に県社(旧社格)になりました。
春は参道に樹齢七百年の南面の桜が咲き誇り、秋の例大祭では山車のほか、寛政年間に京都で造られた総
年が改まり、東京オリンピック・パラリンピックの今年の初詣は、当社の主祭神経津主大神などを祈願し県内出身者をはじめとした日本代表選手たちに多くの勝ち運の御利益を授けたいものです。
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