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福岡藩の名家老「栗山大膳の墓」

最終更新日:2020年1月6日
福岡藩の名家老「栗山大膳の墓」 ~盛岡市~
栗山大膳の墓
銀白檀塗合子形兜
銀白檀塗合子形兜
(もりおか歴史文化館所蔵)

盛岡市愛宕町にある恩流寺には、九州福岡藩初代藩主黒田長政の家老だった栗山 大膳 だいぜん の墓があります。

盛岡藩二代藩主南部重直の時代に、城の鬼門の方角にあたる愛宕山に城下の鎮護として法輪院広福寺が建立されましたが、その後明治の廃仏毀釈により寺はなくなり、現在は恩流寺となっています。

大膳の父利安は豊臣秀吉の軍師として天下取りを支えた黒田官兵衛とその子長政に仕えた功臣で、大膳も長政と二代藩主忠之に仕え、長政からの信頼が厚く、忠之の補佐を遺言されました。

しかし、忠之は 我儘 わがまま なうえ派手好きで御禁制の豪華船を建造するなど勝手な振舞いが目立ち、大膳の 諫言 かんげん にも聞く耳を持たず対立を深めました。

多くの外様大名の藩取り潰しを見ていた大膳は将来を案じ、寛永9(1632)年、「藩主忠之に謀反の疑いあり」と幕府に訴え出ました。世に言う黒田騒動です。

大膳は、長政は家康を天下人に押し上げた最大功労者であり、家康が黒田の子々孫々まで粗略にしないという書状を下したことや家康の養女を長政の正室に迎えた関係を幕府高官に再認識してもらうとともに、公訴で幕府の御威光を借りるしか忠之の行状を改善する手段はないと考えた末の訴えでした。

この結果、黒田家は治世不行き届きで領地を一旦召し上げられますが、先祖の功で再び旧領をあてがわれて改易を免れます。一方、大膳は死罪覚悟の上での直訴でしたが、盛岡藩配流となりました。

盛岡藩預かりの身となった大膳でしたが、幕府から生涯150人 扶持 ふち 、五里四方出歩き自由とされ、南部家からも厚遇されました。大膳は茶の湯にも造詣が深く、盛岡城下の文化興隆に寄与したといわれています。

官兵衛が死に臨み利安に長政を託して下賜した「 ぎん 白檀 びゃくだん ぬり 合子 ごうす なり かぶと 」が、もりおか歴史文化館に保存されています。現存する官兵衛唯一の兜です。福岡藩を守った大膳は、今も盛岡の鬼門の守護として街を見守っているかのようです。

  • 問合せ:曹洞宗恩流寺
  • TEL:019-622-3382
  • 住所:〒020-0013 盛岡市愛宕町21―10

(岩手経済研究2019年12月号で紹介)