大船渡市三陸町
東日本大震災当時、商店や民家などの集落があった同地区には高さ約20メートルの津波が押し寄せ、死者行方不明者96人と多くの犠牲者を出しました。このポプラの木も半分が海水に浸かりましたが、十数回に及ぶ押し波、引き波の甚大な破壊力にも耐え、何とか流出は免れました。しかし、海水に長時間浸ったため多くの住民はポプラの木が枯れると思い心配したようです。暖かくなり緑の芽を吹きだした時はみんな安堵しました。
周囲のほとんどの建物が流され変わり果てた中で、悠然と立つポプラの姿は住民の心を慰め、奮い立つ勇気を与え、それ以来この木は誰からともなく「ど根性ポプラ」と呼ばれるようになりました。
このポプラの木は昭和初期、店舗兼住宅の敷地に家主が植えたものですが、海から近い低地に位置し、昭和35年のチリ地震津波でも被災しました。その後、落雷の危険性が指摘され、伐採の話も持ち上がりましたが、それも立ち消えとなり、現在樹齢約80年と、ポプラとしては古木となっています。
震災後、当地区では市の復興計画に基づき高台移転が進められましたが、住民が中心となって地域のコミュニティを残したいと話し合いを重ね、ポプラを中心とした憩いと交流の広場を建設する構想がまとまりました。
今年2月に樹勢を回復する剪定作業を行い、その後緑地広場が整備され、5月に供用が開始されました。緑地整備では津波で流され引っかかっていたロープや電線が取り除かれたようですが、若葉が今年も生い茂った元気な姿を見せています。
今後も住民に力を与え続けるシンボルとして、末永く元気な姿を見せてほしいものです。
- 問合せ先:大船渡市観光推進室
- TEL:0192-27-3111
(岩手経済研究2018年6月号で紹介)