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聖塚(ひじりづか)〔河野通信(こうのみちのぶ)の墓所〕

最終更新日:2018年1月4日
聖塚(河野通信の墓所) ~北上市~
聖塚(河野通信の墓所)
国宝一遍聖絵
国宝一遍聖絵

北上市の南東部の稲瀬町水越に聖塚があります。聖塚は時宗の開祖一遍上人(1239〜1289年)の祖父・河野通信(1156〜1223年)の墓所と伝えられています。

通信は伊予国(愛媛県)の武将で、源平合戦壇ノ浦の戦(1185年)で水軍を率い源義経に加勢し大活躍をしました。また、妻は源頼朝の妻北条政子の妹で、通信は頼朝に仕え、奥州藤原氏を滅ぼした際にも従軍しました。

その後、伊予国の守護に任ぜられましたが、後鳥羽上皇が蜂起した承久の乱(1221年)で上皇側についたため陸奥国江刺郡(現北上市南部から奥州市北東部)に流されました。晩年は近くの古刹極楽寺に庵を結び世捨て人となって余生を過ごしました。

この乱で通信は流刑となりましたが、母方政子を頼り幕府についた通久と、出家していた別府通広の二人の子が罪を免れ家門を守り、後に通広の子が一遍となりました。

その一遍も母の死に伴い10歳で出家し、35歳で全国を布教や修業で巡り歩く 遊行 ゆぎょう を始めました。その後、北条氏の庇護で鎌倉の禅寺が盛んになると、民衆への念仏勧進を願い鎌倉入りを図りますが、乞食の身なりのため幕府に遮られたことから、近隣の片瀬地区(現藤沢市)を拠点として布教を行い、後に弟子によってこの地に時宗総本山遊行寺が開かれました。

遊行寺というと来月開催される箱根駅伝が連想されます。復路8区のラスト5kmに遊行寺の坂が待ち受け失速に繋がるコースの難所のひとつとなっています。

話を戻し、一遍上人が全国を遊行した様子を描いた絵巻物国宝「一遍聖絵」には、弘安3(1280)年、上人が聖塚を墓参する場面が描かれており、これが通信の墓所を発見する手掛かりとなりました。現在史跡と絵が一致する貴重なものとして、県指定の史跡となっています。

  • 問合せ先:北上観光コンベンション協会
  • TEL:0197-65-0300

(岩手経済研究2017年12月号で紹介)