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「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と「星座石」

最終更新日:2017年11月1日
「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と「星座石」 ~釜石市~
陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑と星座石
(唐丹町大曽根)
伊能忠敬海上引縄測量之碑(唐丹町大石)
伊能忠敬海上引縄測量之碑(唐丹町大石)
(写真提供 三陸国道事務所釜石維持出張所)

1801(享和元)年10月30日(陰暦9月23日)、日本地図作成のため伊能忠敬は北海道に次ぐ全国測量で三陸沿岸を北上し唐丹村(現釜石市唐丹町)を訪れました。

忠敬は1745(延享2)年、現在の千葉県に生まれ、伊能家に養子に入り、やがて村方後見人に任ぜられます。後見人の仕事は村の水を把握する水帳(検地帳)の管理で、水田の測量が必要となったことが測量との出会いです。やがて忠敬は子午線の距離を測るため隠居して天文学者に弟子入りしました。この頃幕府は国防のため蝦夷地の地図が必要で、忠敬は幕府の許可を得て55歳で北海道に出発、その後日本全図作成に取り組むこととなりました。

当時の測量日記によると、到着当日に同村大石浜を起点に真北の対岸仏ヶ崎まで測量し、翌日夜には天体観測を行い村の緯度を北緯39度12分と観測しました。

複雑に入り組んだ三陸海岸は断崖で通行不能な場所が多く、測量は船で引縄により対岸の目印との距離を測る方法がとられ、作成した地図は全体的には正確ですが、現在と比べ個々の岬に不自然な点もあり、観察にとどめた岬もあったものとみられています。

また、日記から岩手の三陸海岸(約250km)の移動ペースを計算すると、1日の平均移動距離は約13km、一方、奥州街道の平均移動距離は29kmであることから、測量の困難さが推測されます。

1814(文化11)年、 この測量を顕彰するため地元の天文暦学者葛西昌丕(かさいまさひろ)によって「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と緯度や黄道12宮が刻まれた「星座石」が建てられましたが、これは江戸時代の測量事績を残す全国唯一の場所であり、岩手県の指定文化財に登録されました。

時を経て2001(平成13)年、大石港には測量200周年を記念し「伊能忠敬海上引縄測量之碑」が建立されました。

来年は伊能忠敬没後200年を迎えます。10月の澄み渡る秋空と青い海を背に立つ碑を見ながら忠敬の偉業に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • 史跡の問合せ先:釜石市教育委員会総務課文化財保護係
      TEL:0193-22-8832

(岩手経済研究2017年10月号で紹介)