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小子内浜(おこないはま)の清光館(せいこうかん)跡と盆踊り

最終更新日:2017年9月1日
案内板と石碑が建つ鉄橋下の清光館跡(小子内浜の清光館跡と盆踊り ~洋野町~)
案内板と石碑が建つ鉄橋下の清光館跡
北奥羽ナニャドヤラ大会(写真提供:洋野町)
北奥羽ナニャドヤラ大会(写真提供:洋野町)

三陸海岸北部の洋野町小子内浜は、大正時代に民俗学者の柳田國男が東北を旅した際の「浜の月夜」と再訪の際の「清光館哀史」のふたつの随想の舞台で、昭和40~59年まで現代国語の教科書(筑摩書房)に採録され、当時習った世代を中心に訪問者が絶えない場所となっています。

「浜の月夜」は貴族院を辞して朝日新聞社の客員となった柳田が、大正9(1920)年7月からの東北の旅を同紙に連載した最終話です。旧盆の8月に当地を訪問し宿泊した「清光館」では、 新盆 にいぼん のうえ休漁で魚もなく十分なもてなしはなかったものの、外では村の女たちが月明りの中を一晩中踊りあかし、翌朝何事もなかったかのように普段の仕事に精を出す姿を見て、そのエネルギーに驚嘆した様子を綴っています。

「清光館哀史」はその6年後、家族旅行で八戸に来た際、偶然にふらりと訪れ、思い出を懐かしんで踊り場や傍らの宿を指差そうとしたところ宿が無くなっており愕然とした様子を伝えています。

聞くと、親切だった宿の亭主は暴風雨の日に沖で遭難し一家は離散。一方前回黙って笑うばかりで誰も教えてくれなかった踊りの歌詞は「なにャとやーれ、なにャとなされのう」という歌詞で、「何なりともせよかし、どうなりともなさるがよい」と男性に呼びかける恋歌と知ります。清光館の没落を目の当たりにして、この北の浜辺で繰り返される災厄と日々の暮らしの痛苦、その中で生きるため踊りに 耽溺 たんでき するかのような歌の調べが悲しく聞こえ、こうした痛苦があればこそ浜の月夜での踊りのようなバルサム(鎮痛剤)が存在すると結んでいます。

柳田國男が感銘した盆踊り「ナニャドヤラ」は日本最古の盆踊りとも言われ、青森県南部から岩手県北部で歌い継がれ、今年も洋野町大野では「第28回北奥羽ナニャドヤラ大会」が8月18日に開催されます。

(岩手経済研究2017年8月号で紹介)