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菅公夫人の墓と名所

最終更新日:2017年8月1日
菅公夫人の墓と名所 ~一関市~
菅公夫人の墓
菅公夫人の墓 案内図
菅公夫人の墓 案内図

学生時代「カンコー(菅公)学生服」を愛用した方も多いと思います。そのカンコーの由来となった学問の神様・菅原 道真 みちざね 公( 菅公 かんこう )夫人の墓が一関市東山町 河津 こうづ にあります。

田河津村誌などによると、延喜元年(西暦901年)、右大臣であった菅原道真は左大臣藤原 時平 ときひら の謀略により醍醐天皇の廃位を図ったとの無実の罪を着せられ失脚し、 太宰 だざいの 権帥 ごんのそち (大宰府長官)に左遷されました。一族も配流となり、菅公夫人は3人の子供と従臣を伴って胆沢郡(現奥州市)に落ちてきました。

胆沢郡藤杜郷(現前沢区 北羽毛 きたばけ )の軍治(郡司)兵衛尚利により、母君の菅公夫人の吉祥女様が 母体 もたい 、長女が上姉体、二女が下姉体、五男( 敦茂 あつしげ こう かん 秀才 しゅうさい )が中野(旧中野村、現水沢区真城北野)にそれぞれ配所され、それが現在の地名の由来となっています。

左遷から2年が経った延喜3年、菅公は大宰府で逝去。その訃報を受けた夫人は悲しみのあまり病を発して、その3年後の6年9月に42歳で没し、埋葬された場所が夫人の墓と伝えられています。

時を経て墓の存在を伝え聞いた現在の大宰府天満宮39代 西高 にしたか つじ 信良 のぶよし 宮司は、平成6年に門外不出の梅の木を墓周辺に植樹。その後、北野天満宮などから寄贈された貴重な梅の木も植樹され、墓周辺の整備活動が進んでいます。

 一関市内には他にも一族にまつわる名所があります。敦茂が父菅公が丹精込めて育てた 蘭麝 らんしゃ ばい の実を山に植えたところ山一帯に高貴な香りを放ち咲き乱れ、その名がついた らん 梅山 ばいさん (山目町)、同じく敦茂が両親の霊を慰めるため菅公の菩提寺の許可を得て同じ寺名をつけて開山した安楽寺(千厩町磐清水)です。同寺には敦茂の墓と言われる精霊塔があり、一帯は「梅の里」として地域による植林活動が進められています。

  • 問合せ先
    東山町観光協会(一関市役所東山支所内)
     TEL:0191-47-4525
    菅公夫人の墓史跡保存会
     TEL:0191-47-3895

(岩手経済研究2017年7月号で紹介)