志和稲荷神社 ~紫波町~

最終更新日:2018年2月1日
志和稲荷神社 ~一関市~
志和稲荷神社(写真提供:同神社)
志和稲荷神社 初詣客の列
初詣客の列

紫波町の西部山麓の升沢地区に日本五大稲荷神社のひとつと称される志和稲荷神社があります。

志和稲荷神社は天喜5(1057)年、安倍頼時、貞任父子を追討した前九年の役で、この地を訪れた源頼義、義家親子が近くの陣ケ岡に布陣した際、戦勝を祈願して京都伏見稲荷大社から分霊を勧請し創建したと伝えられます。

その伏見稲荷大社は和銅年間(708~715年)に産業、政治、経済、文化等で日本史に大きく貢献した秦一族のはたの伊侶具いろぐによって山城やましろのくにの稲荷山(現在地)に創建されました。これが日本の稲荷神社の始まりで、全国に約8万ある稲荷神社の総本社となっています。

稲荷神は元々五穀豊穣を司る農業の神でしたが、時代が下り商売繁盛、産業振興、家内安全、交通安全、芸能上達の守護神として信仰されるようになり、現在、県内では約70の稲荷神社を数えます。

その後、当神社は鎌倉時代には樋爪氏、室町時代には斯波氏の各郡主が崇敬し、戦国末期以降、南部氏の支配になると、一族の祈願所的性格を有し、天保5(1834)年には藩主南部利済により盛岡から当神社へ至る約5里の街道が整備されました。その後、大正時代に県社となり、昭和32年には神職進退について神社本庁が特別な取扱いを行う高社格の「別表神社」とされています。

年が改まり今年はつちのえいぬの年。干支えとには中国の陰陽いんよう五行ごぎょう思想の「木・火・土・金・水」が使われ、そのうち「木火金水」がそれぞれ春夏秋冬を表し、残りの「土」は、それぞれの季節の変わり目(「土用の丑の日」は夏の最後の変わり目)を表します。そして戊も戌も「土」を表し、戊戌の年は変わり目が重なり変化の勢いが増すと言われています。

五穀豊穣や商売繁盛には、天候の変化、売れ筋の変化への対応が欠かせません。平成も総仕上げの時期を迎え、大きな変化の気配を感じさせます。

目まぐるしく移り変わる時代の流れの中で、今年も念願成就を期して多くの初詣客が参拝に訪れます。

  • 問合せ先:奥州総鎮護 志和稲荷神社
  • TEL:019-673-7608

(岩手経済研究2018年1月号で紹介)

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